窮屈




最近は暮らしのなかの音がストレスで、音を少しでも減らせるようにずっとイヤホンを付けていたりする。



ストレスというと、どうやらこの職場にも派閥のようなものがあるかもしれない。
派閥があるということより、それをわざわざ教えてどっちの味方につくのか みたいな話しになったら、まあ面倒くさい。どこにもつきません。



幼稚園の頃からそういうのに巻き込まれることが多かった。
どっちを選ぶの と言われることが多かった。
どっちも選びません。好きでも嫌いでもないから。興味がないから。
小さいながらにそんなことを考えていたし、面倒くさい幼稚園が大嫌いで毎朝泣いていた。



そういう面倒くさいのは一生つきまとうらしく、小中高でも同じようなことがたくさんあった気がする。
そして、社会に出てからもずっと続いてる。
しかしながらどこの派閥にも属さないように生きていると、わたしの飄々とした態度 無関心な様子が気に食わないのか、お局ポジションに標的にされることばかりだった。



入ったばかりのこの職場は、人が優しい印象を受けている。
だからわざわざわたしにあれこれ教えないでくれ。
みんなと話したいし、何かあっても自分でどうにかする。
土足でわたしのなかにあがりこまないでくれ。
距離を詰めないでくれ。
って、どこか遠い国のわたしが言ってる。
遠すぎて日本には届かないかもしれん。



繋がりのストレスでいろいろと考えていたら、久しぶりに腕を切った。
ビビって痛かった。
でも心が少しスッとする。
あずきバーと煙草。牛乳と煙草。
アームカットにも煙草は合うらしい。



人に流されて世の中に柔軟に溶け込めるひとのことを考えてた。そういうひとになれたなら、もしかするともう少し生きやすくなるのかな。
変わるつもりは無いんだけど。




情緒がどうしようもない日は、必ず月に挨拶してから布団に入る。去年からのライフハック



とにかくとにかくどこへ行っても窮屈。飛び降りる日はいつなのやら。






再生




あなたの男性器をホルマリン漬けにしてお守りがわりに持ちたい。

22歳になって、まともになっている。

もうこの先の人生、飛び降りる理由も誰かの大切な人を奪う理由もなくなるのだ。

新しい職場にもどうにかこうにか馴染んで、ゆっくりと親にも甘えられるようになり、整形せずともわたしはそれなりに可愛らしいのだ。

それなのに一人の昼も夜もいつまで経ってもなんでだか慣れず、あなたが帰るのを待って少し肌寒くなったベランダで好きじゃない煙草を何本も吸うのだ。

これから先、もうこれ以上の幸せなんてない気がしている。

それと、もう今まで以上の苦しいこともない。

それなのになんでだかときどき、名前を知らない道端の誰かと裸で抱き合えたらいいのにだとか。

色黒の健康的な自分の体を、薬や剃刀で傷つけたいだとか。

そんなことを、本当にときどき、深く考えてしまう。

勝手に涙がこぼれて、何も手につかなくなる。

自分がいらない子なんかじゃないって何十回何百回と言い聞かせても、わたしは別にわたしが要らない。

一歩前に踏みだす勇気なら、死でも生でもどっちだって良い。

そんなに頑張っていなくとも、どっと疲れてめちゃくちゃに甘いチョコレートを食べる日というのは大切。

用足しをした帰り、甘いものをいくつか買って家路に着くと、同じようにコンビニの袋を提げたあなたが優しい顔で笑ってた。

「アイス買った」。

あなたが休日の晩ごはんはあなたのつくるあったかいごはんだから、わたしは日曜日が好きになった。

煙草がなくなって、手を繋いで二人コンビニまで歩く道も好きになった。

布団を敷きなさいと何度注意しても、いつのまにかすぐにフローリングの上で眠るあなたの寝顔は生きる意味を見出したがるわたしの唯一の救いだ。

あなたと毎日を生きるたびに、わたしはどんどんと弱くなっていく。

でもそれは心地の良い弱さだ。








酔様




酒に酔ってそうめんを茹で過ぎてしまった。

1束でいいというのに学ばないのである。

茹で具合もサイアクだった。

バイトをはじめて2日が経った。

今のところは悪くない。

まだ仕事を覚えきれず要領もよくはないので、怒られるというか指摘される面は多いけれど。

でも、やらねばならんと思う。

金麦飲みながら「やらねばならん!やらねばならん!」と、さっき台所で騒いでいた。

人よりできないぶん一生懸命誠実に生きなければいけないと、自分は昔から思っている。

ときどき、そうは言ってもずる賢いというかなんとも調子のいいような綺麗事言ってるような気がして自分に腹がたつこともある。

それでも、自分の今掴んでいる幸せはわたし自身の生き方が引き寄せたものだと思うし、誇りを持っていいんだよな。

自分が狂ったみたいな、ひどく可哀想なサイテー人間な日がある。

それでもわたしは、穏やかで、傷つきやすくて、抜けていて、愛嬌があって、芯があって、正義感があって、感謝の気持ちを忘れない。

わたしは、そういう人だよ。

忘れないでいたい。




昨日、出勤前に駅の階段でハンカチが落ちているのを見つけた。

でもそれを拾わなかった。

今朝、横断歩道付近にペットボトルが落ちていた。

それも拾わなかった。

それをずっと後悔してる。

自転車が倒れていたり、ゴミが落ちていたり、スーパーで他の誰かがぶつかって落とした商品があったりすると 直したり拾ったり並べたりしないと気が済まない。

それっていうのは、もしかするとちょっとした病気の影響だったりするのかもしれない。

でもどうしてもやりたい。

これは本当に誰かに褒められたいとかではなくて、それを見て誰かが嫌な気持ちになったら悲しいからだ。

自分が暗かったりどん底に落ちてたりすると、そういうことって意外と目につきやすかったりする。相手の気持ちとか、周りを気にしたりとかするから。

明るく楽しい時って、前とか上とか見てるから そういう大切なことが見えなくなることがある。

ずっと俯いて生きたいってことでは無いけれど、なんていうか、明るくなって楽しくなって自分のこと大好きになっても、大切な自分の生き方は曲げないでいたいな。

忘れずに。








健気

 

 

 

継続はなんとやら。

今朝数ヶ月ぶりに更新をしたので、稚拙な文章ですが、また書きます。

 

 

毎日、生活をすることが怠い。

先日「生活が怠いです」と言ったら、『生活はね、怠いね。』と返されて そうだよねえとなった。

痛そうだしこわい。

死にきる勇気がわたしには無い。

死んだあとも死活があったらどうしようとか思う。

魂、なんとなく消えて欲しい。雨にとけてほしい。

 

 

本当にベタだけど、腕を切らないと幸せを噛み締めることできない。

意味もなく薬をいっぱい飲まないと、誰かに優しくできない。

どんなに笑っても寂しくて堪らない。

誰でも良いからやりたいと思うことは、ほぼ毎日ある。

性的な魅力があると思いたい。

物好きさんに可愛いねと言われたい。

だけど、彼の名前を体に彫りたいって思うし、彼の好きな顔に整形したいって思うし、彼の歯茎を舐めたい。性器をホルマリン漬けにしたい。

万人に愛されたいくせに、頭の中は常に一人でぎちぎちなのである。

 

え…    

毎日これは疲れる。

赤ちゃんの腕の溝がすっぱくさいとか、大きめの犬を抱きしめたいけど噛まれそうでこわいとか。

実はそういう話だけをしたい。

 

なんだけど、こればっかりはどうしようもない。

現代の阿部定と呼んでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安眠




きょうも 眠れずにいます。

この幸せはいつまで続くのでしょうか。




ここ数ヶ月は 自分の書く文章が気持ちの悪いものに思えて、ブログを更新することができませんでした。




6月に約3年間のコンビニバイトを終え、思えば彼との繋がりも約3年になろうとしています。

就職に失敗して地元に戻ったことも、泣きながら通ったバイトも、誰でも良いと思いながら言った好きも、数分間の別れ話も。今 この2LDKに続いていました。




わたしの自殺未遂も、ODも、異性関係も、死ぬまで治らないと思います。

あまったれた自分の生き方に嫌気がさして泣くことも、暴力的な言葉を吐くことも、疑い深いこと、自尊心の低さ、自己愛の強さ。死ぬまで治らないと思います。

臨床心理士になって、誰かを救って、大好きな子供を産んで、優しいお母さんになって、そんな夢は最後まで夢かもしれません。




彼がぽろっと言った、

臨床心理士なんて向いていない。なれないと思う。それでも応援する。」

という言葉。

「薬を飲んでも全部は治らないと思ってる。結局自分だから。」

という言葉。


冷たいようで、わたしはこの言葉たちがとても好きです。

どんなに好きや愛してるを言われた瞬間より、この言葉を聞いた瞬間に  わたしはこの人とずっと一緒に居るのかもしれないと、そんな風に感じました。



彼は 見ているようで見てなくて、なんにも知らないようでわたしの全部を知っています。



時々 忘れてしまうけれど、いつまでも心に留めておきたいです。この優しさが当たり前ではないということ。心の底から甘え、誰かを信じられることはそう簡単ではないということ。


毎日が不安で 生活が怖くても、彼の寝顔を見て 生きてきて良かったと泣ける朝に。










浮遊



きゅうに来なくなった女子高生の気持ちは なんとなくわかる。確かに礼儀はなってなかったかもしれないが、世の中あなたたちのように ものを言える人間ばかりでは無いからだ。





女子高生から送られてきた的はずれなLINEの文面を従業員たちに見せつけてまわる雇い主には呆れてしまった。





生真面目で常識を持っていても、的をはずさなければならないことが時々あったりする。

それはわざとはずしていたりする。





極端すぎるし考え過ぎだと思われるかもしれないけれど、なぜだか涙がとまらない毎日とか、目立たないような腕の傷が増えたりとか、あるいはいつのまにか死んじゃったりなんて。





そうなるくらいならまわりにめちゃくちゃ迷惑かけてでも逃げちまえ。

良いのさ。良かった。

なんてことを、 辞めてしまった女子高生がアウェーにある店内で わたし 一人 そう感じていた。



















再起



「おちんちん」て言うのはなんだか子供みたいだね。絶妙ないやらしさが。もっといやらしく言ってみて。



昔浮気相手に言われたそんな気色悪い言葉を、不意に思い出していた。



バスケが得意で顔だちも端正な男の子だったけれど、あいにくめちゃめちゃにどギツイ性癖をしていた。



彼が わたしが人生ではじめて浮気をした相手なのだけれど、「付き合う」ということはなく一度性交渉をして終わるわけだ。



「星が見えるよ」そう言う彼の部屋の天井は、確かに電気を消すと天井に細やかな光が浮かび上がるものだった。



はじめて浮気をしたとき、突然襲ってくる罪悪感で泣いてしまった。
彼は「みんなやってるから」と笑って言っていたと思う。



その浮気が原因で、はじめての恋人と別れた。そのときの恋人がショックで睡眠障害になったりうつ病になってしまった。わたしが出会い系をやって、いろんな人に抱かれまくってるだなんて嘘を流された。



高校時代、早退や欠席の多かったわたしは よく保健室で暇をつぶしていたんだけれど、隣のベッドでよく別れた恋人が休んでいた。ツイッターをぼんやりと眺めながら、彼と先生の会話を盗み聞きしていた。



あのときちゃんと謝っていたら、もしかしたら何か違ったのかななんて虫のいいことを考えてみたりもするけれど、高校卒業して数ヶ月後にツイッターをフォローするも、即ブロックされてしまうので大丈夫です。



はじめて腕を切ったのが、そのときの浮気相手の「本当に好きな相手だったら、初っ端からエロいこと要求しねーから」というわたしに対しての捨て台詞。
思いだしては、なんとも情けない。



心臓が きゅーってして、涙が止まらなかった。無心で腕を切って泣き疲れて寝た。男ってやっぱサイテーだ。



生き方にズレとか迷いが生じてきたのは自業自得であるがゆえに、人一倍遠回りしても優しくならなきゃいけないと思う。



いま人に優しくありたいと必死なのは、たぶんときどきそのはじめての恋人のことを思い出すからだと思う。



反省したフリをして、その後数人と付き合ってからも嫌なことがあるたびに当たり前のように何度も浮気をするのだけれど。
好きでもないのに好きなフリして抱かれる労力マジで別なところに使え。それに尽きる。



根本のクソは治らないから、もしかしたらわたしも死ぬまでクソかもしれない。高頻度で嫌になる。免罪符みたいに腕を切ることが。許されようとしてるのが見え見えの心が。



「過去がどうこうじゃなくて、今どう生きるかだよ」みたいな綺麗事があるけど、でも傷ついただれかの心は一生完治しないよってあの頃の自分に教えたい。



今の恋人の、とびきり甘やかしたような どろどろの優しさにズブズブと埋もれてしまうのは、はじめての恋人の真っ直ぐだった愛情と重ね合わせている節があると自分でわかっている。



神様は居ないんだけれど、誰かしらのくれた何かしらのチャンスだな なんて。



もう二度と意志の弱さを愛の脆さを人のせいにするな。